[読了]かんなぎ ~校内ケガレ浄化合宿~

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あらすじ

夏休み最終日……。

例によって校内でケガレ退治をしていたナギ・仁・ざんげちゃんだったが、ケガレを取り逃がした、と思ったところで何故か校内に閉じ込められ、あげく、謎の「ケガレ祭り」が始まってしまう。

この状況に、いつもの美術部の面々も巻き込まれて強制的に始められる「校内ケガレ浄化合宿」であったが、偽ナギまで現れ、状況はどんどん混迷していくばかり。

そして、その果てに現れる「宇宙ケガレ」とは……?

伝奇とカオスを組み合わせたまったく新しい『かんなぎ』、ここに顕現です。

カオスは伝奇に非ず。

「そ、そちは何じゃ……? 何で、妾の姿をしておる」

「妾はナギ。影のナギ。ナギの姿と、ざんげちゃんのスタイルとを兼ね備えた完璧なるナギ」

顕現失敗!

夏休み最終日の8月31日、いつも通りケガレ退治に精を出していた仁とナギがケガレの親玉(?)によって学校に張られた結界内に取り込まれ、偶然学校に来ていた美術部の面々とざんげちゃんも交えながら、学内は大ケガレ祭り。ケガレの親玉偽ナギさまを打ち倒すまで延々と8月31日を繰り返すお話です。

ここでおかしいと感じた方、ピンときた方。今すぐ引き返してください。手に取ろうと思っている人はやめておいたほうがいいと思います。

良くも悪くも本当にこれだけのお話。それ以上でもそれ以下でもなくてただこれ以外の内容が全くない。いや、内容が無いだけなら失敗したなぁ~と思えばいいだけなのでまだ良いのですが、これはちょっと頂けません。この冒頭の要約文を見ておかしいと感じた方はおそらくその勘は正しいと思います。今すぐ引き返してください。この根拠は後ほど説明するとして、とりあえずの雑感を記してみます。

正直、この作品の何が面白いのか僕には全く分かりませんでした。

すべてにおいて、あまりにも白々しさが目につく。仁やナギである”何か”は確かにそれぞれの特徴を模した台詞を喋ってはいるのですけれど、どうみても仁やナギが動いているようには見えない。そこに動いていると思わせる魂が篭っていないんです。ことごとく”外した”あまりにも荒唐無稽な予定調和の上を、脊髄反射的に述べただけのような白々しさ、といったところでしょうか。ちょっとでも登場人物のだれか一人が不和を述べれば、今までのやりとりが冗談のように一気に霧散してしまう――そんなとても希薄な偶像劇。

勿論原作である、かんなぎが悪いわけではありません。

この豊富すぎるかんなぎの世界観を驚くほどに生かしきれていない。この人はかんなぎの何を見てきた * 1 のだろう。このかんなぎというお話は、どちらかというと学校生活自体よりも、家庭内での仁とナギのやりとりのほうが丁寧に描かれていますし、その間に流れる細かい”間”を意識しているであろうことは明白なのですが、本作はこのかんなぎの魅力のひとつである家庭内で描かれる両者の心の微妙な距離感の機微が全くありません。

というかシーン自体がありません。

コメディに特化したのでしょうか。だとしても、そこに”ケガレ”という題材を持ってくるのはどう考えても安直なのです。

ケガレという題材は、その存在が描かれながらも、原作の3巻ではよく分からないものとしてスルーされていました。

何故なら、ケガレとはナギやざんけちゃんといった顕現した神様の存在を揺るがす存在になり得るから。

神様やケガレはどこからやってくるのかだろうか。これは、後々に繋がる重要な伏線でもあり、このかんなぎという物語が抱える非常にデリケートな問題でもあるのです。

それを、ただ仁とナギが追っていてナギがケガレ退治に勤しんでいるからという安直な理由だけでコメディに使用していいものとは思えません。

この愚直さは、神道というモチーフを抱えたデリケートなかんなぎの物語においてはつついてはいけない部分であり、薮蛇にしか成り得ないのだ。

コメディという性格を抱えていても、原作のかんなぎはこの神道に纏わるデリケートな部分をうまく暈してかわしています。コメディ部分に神道の概念でもある一要素を絡めてくるようなことは絶対にしていない。

これは、本編の意図を正しく理解せずに、つついてはいけない藪をつついてしまっていると言わざるを得ないでしょう。

そして、ましてや、神道抜きにしても、ケガレという要因はざんげちゃんは興味を示しておらず捕まえている描写もないのでざんげちゃんと絡めること時点が的を得ていないのだ。所詮は仁とナギの事情に周りの人物がまとわりつくだけの希薄な関係性なのです。

その脆弱なレールの上に、さらにゲーム要素・お色気要素・謎設定を加えてコミカルさを演出しようとしているからもう何が何だか意味が分からない。

何故そこでそいつがそんなこと言い出すのかも理解できないし、何故そこでそんな設定が出てくるのか全くもって意味不明といった――何もかもが的を得ていない”かんなぎではない何か”がそこに展開されているのです。

こうなってしまってはもう何も面白いとは思わない。確かにそこでは仁やナギらしい何か達が面白おかしくゲームを繰り広げているのだけど、僕は全く持って興味が持てないのだ。

だから続く展開もどうでもいいし、気にもならなくなってしまうんですよね。

これだけなら、まだただの面白くない本だった――、そう思って微妙な読後感に浸るだけなのですが、ここにきて僕はイラついてしまった。

正直ライトノベルを読んでいてイライラきたのは * 2 初めての経験だったので、少し戸惑ってさえいます。

このイラつきの正体は何なのだろうか。

それは、この構図が隠喩している悪質なパロディ性に気づいたから、だったのです。

この人はそんなことをする人では勿論ないでしょう。少なくとも悪意は感じられません、だけれども、事実その構図は呈を成して成立してしまっているのだ。それに気づいてしまってから一気に醒めてしまいました。これはひどい、と。

ここで手短にその垣間見えた一面をまとめてみます。

本作は、ナギという実体に顕現した神様が、”ケガレ”という仮想敵に立ち向かうべく奮闘する、というシーンから始まりを見せる。

ナギを顕現させたパートナーの仁とともに、面白おかしく美術部の面々やざんげちゃんたちと触れ合いながら立ち向かっていく……。と、ここまでは普通にコメディかなぁと思っていたのですが、探偵うんぬんの流れから人体模型のおばあちゃんが登場してからもしやと、思いはじめました。これは1~3巻の流れの表面のみを模した、劣悪な模造品なのではないかと。

原作では老齢の大おばあちゃんが一見あまり的をいない受け答えをしているように見えるのですが、実は祭られた正体不明の神様である神薙様に纏わる逸話であった、という非常に印象深く重要なシーンなのです。

が、本作のこの表面をなぞっただけのようなシーンがあまりにも安直すぎてさすがにムッとしてしまいました。そして、これはそういうことなんじゃないかと。もし、そうだったのであれば論外ですし、そうでなかったとしても、かんなぎとはこんな物語なのだよと馬鹿にしているような安直すぎる解釈にこの作品で初めてかんなぎを知った人は勘違いを起こしかねません。

かんなぎってこういうこういう作品なんだといわれているような気がしてそれ以降は一気に読む気がしなくなりましたね。

そして、それだけでは飽き足らなくて、そのケガレの親玉自体が偽ナギというナギの粗悪なコピー品だと言うのです。

八百万の神という神道独特の思想から、唯一無二の御神体”神薙様”が顕現した尊い存在こそがナギなのに、そのナギ自身を安直にコピーしてしまうという発想自体が在り得ませんし、ましてやそのコピーである偽ナギこそがケガレ自身であるとは言語道断と言わざるを得ません。

特に最近の騒動の流れを鑑みると、細かい言及は避けますが、何か結びつけてしまうような人が出てきてもおかしくはありませんよね。

つまり、僕が怒っている理由。

それをまとめると

竹井10日の提唱したカオスは伝奇に非ず、ということになります。

これを伝奇と言い張って、かんなぎとして出すことがどうしても僕は納得出来ない。

これはあまりにもかんなぎという世界観をバカにしている。その裏に描かれたテーマを省みようともせず、またそのコメディ要素に対しても延々的外れな解釈がなされて原作のかんなぎが大切にしていた間や微妙な機微を一切無視しているのだ。

これでこの作品が面白いわけがない。

以上、酷評とは作品を否定することであり、作り手に対して大変失礼なことは承知しているのですが、酷評するからにはせめてその根拠をしっかりと説明してみようと思いました。その根拠を示すことが必要なことだと僕は思います。

読み進めてこれほど面白くないと、それでいてイライラした作品は初めてでした。

実際のところ、一迅者文庫が出来た頃から原作ファンとしてノベライズのコラボレーションが実現するのではないかと楽しみにしていたのですよ。

竹井10日さんという人があまり評判の芳しくない人だった、というのは一応知っていました。だけれども、それでも期待はしていたんです。かんなぎの世界観をノベライズで味わえるならたとえそれほど面白くなくともいいかな、と。僕はそれくらいでは特に何も不満はありません。その期待が裏切られたとしても別にかまわないのです。

だけれど、原作に対して変な誤解を与えかねない内容だけは我慢が出来ませんでした。

そう思うと、今回のノベライズは大変残念な結果になってしまったと思います。

だからこそこうして、何が面白くなくて、何が嫌だったかを文章に書き起こしたのです。

実際に本作を読んだ人がどういう感想を抱くかは、僕は分かりませんが、これが僕の率直な感想なのは紛れもない事実です。

多分ありえない * 3 でしょうが、次のかんなぎノベライズが刊行されることがあれば、是非とも竹井10日さん以外の作家さんの作品が読みたいです。とにかく、これに尽きます。

ガガガ文庫のような本気で作られた幸せなノベライズ作品だったら良かったんですけれどね。

  1. あとがきより。竹井さんは1巻からのファンだそうです。 [ ↩back ]
  2. 文章が肌に合わない以外の理由で [ ↩back ]
  3. 作品のことではなくて著者に対してのありえないです。2巻が出ないとは言い切れませんが、まず、著者は変わらないでしょうね。 [ ↩back ]

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Itary亜人:ラノベと深夜アニメが主食の装飾系(webデザイン趣向的な意味で)ヘタレ男子。
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