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プシュケの涙 (電撃文庫)
- 柴村 仁
- アスキーメディアワークス
「こうして言葉にしてみると…すごく陳腐だ。おかしいよね。笑っていいよ」「笑わないよ。笑っていいことじゃないだろう」…あなたがそう言ってくれたから、私はここにいる―あなたのそばは、呼吸がしやすい。ここにいれば、私は安らかだった。だから私は、あなたのために絵を描こう。夏休み、一人の少女が校舎の四階から飛び降りて自殺した。彼女はなぜそんなことをしたのか?その謎を探るため、二人の少年が動き始めた。一人は、飛び降りるまさにその瞬間を目撃した榎戸川。うまくいかないことばかりで鬱々としてる受験生。もう一人は“変人”由良。何を考えているかよく分からない…そんな二人が導き出した真実は、残酷なまでに切なく、身を滅ぼすほどに愛しい。
「これは、シャボン玉大量発生ツール。名づけて、ぶわぶわくんだ」
「ぶわぶわ?……」
「これで吹けば、シャボン玉が気持ち悪いくらいぶわぶわ出てくるんだ」
これは絶品で逸脱。
辛く切ない青春の日々ではありますが、決してありがちな悲劇では語りつくせない特別な思い出が詰まっていました。
クラスで浮いていた少女吉野彼方の自殺の真相を巡って、夏のひと時を駆け巡る少年たちの着地点を描いた作品です。
物語は吉野彼方の死を目撃してしまった彼女のクラスメイト榎戸川に、自らを美術部員と名乗る8組の変人由良が接触するところから始まります。
この事件の真相には割かし早く気づいてしまったかな。なんともいえない違和感がやがて形を成していくのにさほど時間はかからなかったです。それくらいに、ここには明確な悪意の発露があった。むせ返るような悪意にきりきりと胸が締め付けられながらも、暴かれていく真相にただ耳を傾けるしかありませんでした。
しかし、本当の真相はその先に隠されていて――。
この作品の凄いところは高校生という年代特有の閉鎖的なコミュニティを鋭く切り取っていたところではないかな。
大人へと成長する中で、閉鎖的な子供のコミュニティがどうしても違和を生み出すのですよ。
大人の賢さと、子供らしさを兼ね備えた世代。それが悪い方へ作用すると大人の知恵を持った残虐性が姿を現す。
その鍵となるのが集団に属さない個人なんですよね。
集団に属さない個人は例外なく集団から浮く。
例えば、集団に属さずに且つ特筆すべき魅力のある存在は神格化され崇め奉られる。
例えば、集団に属さずに且つ都合の悪い存在は排他され、攻撃を受ける。
では、判断しうる材料を持たない孤立した存在はどう扱われるのだろうか――?
答えは、判断する人の心情を映し出す鏡となるのです。
人は人を判断しうる材料を持たない時、自らの価値観を以って型に当てはめようとする。このエピソードの場合、榎戸川にとっての由良がこれに該当していたと思います。
自らの価値観を物差しに、現実を受け止める。
これがこの青春の物語を切り取る上で重要なファクターだと言えるでしょう。
この鍵を元に開け放たれる錠前となるのが、
「可哀想に」
と彼が最後に放った一言。
前編で初めて聞いたときとすべて読み終わったあとに聞くこの台詞の印象はまるで違う。
最初に聞いたときは、不条理にも失われてしまった彼女を悼んだ言葉だと思いましたが、青春の物語を見届けた後だと不思議と沈黙した僕への憐みに見えてくるんですよね。
そう思える言い知れない実感がある。
後半のお話は確かに辛いのだけど、その構成もあってか不思議と後味は爽やかではあったかな。
読了後の余韻には、埋まらない確かな喪失があって込み上げるものがありました。思わず言葉が出なくなってしまうほどの激情。けれどもこの物語を読み解くヒントは前編で語られた後日談の中に隠されていたような気がします。
形を成す存在は失われてしまった。でもきっと、集団に渦巻くどす黒い悪意なんかじゃ研ぎ澄まされた真っ直ぐな想いは消えない。彼はきっと、この思い出を切り取ってキャンバスに描ききることで色褪せない永遠を形に残すことが出来たのではないだろうか。
「可哀想に」
だから彼の放った憐みは、自分可愛さに未来への悲観を拭えないでいる僕への憐み。
自分の物差しで流されるままに人生の足を踏み外した僕への憐れみなのだ。きっとそう。そう思いたい。
彼方の中でこの青春の物語は、自ら儀式的に身を投げることで幕を下ろしたんじゃないかな。
そう解釈すると、その台詞の先に待つ僕の回想は全く別の意味を持つことになる。
するとどうだろう。この物語はなかなかに前向きで幸せな物語に見えてくるではないか。確かに綺麗な青春の日々は失われてしまった。けれど、その先に待つのはただ漠然とした絶望ではなくてその輝かしい日々を遺すことに成功した男の物語なのです。
なるほど、確かに彼は絵を描くべくして生きる人間だ。
ここにきて、彼方が遺した絵に描かれた青い蝶は、翅を失いさ迷う生き様と、羽がなくとも飛び立った死に様の象徴であったことに気づく。
翅を片方失った蝶は、失った翅を描きとることで再び空へと羽ばたいたのだ。
だからきっとy. kanataのサインに籠められた想いはトラウマなんかじゃなくて、むしろ誇らしくさえあったのではと思える。
何故なら、それは両方の翅を揃えた蝶そのものなのだから。
ここでいうプシュケとは特定の個人を指す呼称ではなく、人の『魂』そのものと考えるほうがしっくりきそうですね。そう、青い蝶が舞う様に例えられた二人でひとつの魂のように。
つまりプシュケの涙とは――『魂の慟哭』。
プシュケの涙を流した彼と彼女の物語は辛く切ないながらも大変絶品な一冊でありました。
この作品はきっと、想像を膨らませる余地を与えられたことで読者の心象を映し出す鏡として機能していたのではないかな。
悪意の発露と、特筆すべき魅力という対称のファクターを隅々まで描き、中立をとることでどちらへ傾くかを読者の物差しに委ねたのだと僕は思います。
だからこの作品にはきっと様々な解釈が生まれる。
そうした様々な新しい物語が生まれていく中で、すべてに於いて共通しているのはただ形として残された確かな思い出の日々なんですよね。
様々な意味が込められている、というこの作品の本質を体言したような幕間のモノクロイラストも素晴らしかった。絵というのはそこに意味を感じ取ることではじめて魅了されるという事実を改めて思い知らされた気がします。
綺麗に隅々まで磨き上げられた青春の日々の追憶が形作る、身を滅ぼすほどに美しい鏡のような物語。
あなたの鏡には何が映りこみましたか――?
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