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クスリ、ダメ、ぜったいの一線を踏み越えてしまう佐天さん。
彼女にとって「レベルアッパー」というアイテムは自ら友情を絶ち切ってしまうものに他ならなかったようです。
ところでマジョリティとは多数派を意味する単語でありますが、その反対に位置する少数派――つまりはマイノリティとは一体誰を指していたのでしょうか。それだけでなく、このマイノリティというキーワードには本来の差別されるもの、社会的少数派という意味も少なからず含まれていたように思うのです。マジョリティ/マイノリティの対立する価値軸、そして両者の断絶を物語るディスコミュニケーションの物語を解き明かしてみることにしましょう。
まずは「学園都市」という場所、都市、コミュニティにおいての多数派とは誰なのかを考えなくてはいけません。
その市民を一人一人図り、区別をつける物差しこそが、《レベル》という概念でありました。
それは、市民全員に浸透している意識体系。「学園都市」を包括するイデオロギーでもあるのです。
「学園都市」の人々はまずレベル0~レベル5の6段階に区別され、レベル0を土台に上に向かってレベル5を頂点とするピラミッド形のヒエラルキー構造が形成される。その中で、都市における約60%以上の人間が底辺を形作るレベル0の区分される、という事態からみて市民の過半数を動員して形成されるマジョリティとは、この《レベル0》のカテゴリーであるといえるでしょう。
しかし都市の覇権をこの層は握ってはいない。
「学園都市」というディストピアな管理社会の実情は、頂点にある《レベル5》が権威化され、《レベル》の多寡がそのまま《ちから》となって権力に結びつくというのは今までのエピソードで痛々しいまでに強調されてきた事柄でした。
そしてこの作品においてもっとも注目するべきところは、そうした多数派である低レベル能力者が阻害され、一部の高レベル能力者の存在が肥大化し、《ちから》という言説がまかり通るという事態――いわば人数的には圧倒的多数の《レベル0》が「マイノリティ」として描かれているところにあります。
この都市ではマイノリティとマジョリティの人数比が逆転している。
しかしとてもややこしいことに、このエピソードでは、Aパートにおいて黒子に立ち向かう大勢の人々という構図に見て取れるように、社会的弱者として下層に追いやられた不良たちがレベルアッパーという《ちから》を手に入れることで《レベル》に支配されたヒエラルキー間の断絶を打ち破り、そしてBパートで明かされたように秘密裏に弱者のネットワークを形成することで《ちから》を持つ弱者というマジョリティ――この文脈においてのマジョリティ・リポート(多数派意見)――という描かれ方をしたのですよね。
単純に《レベル》という評価軸を元にしたマジョリティ/マイノリティという区別は、主体と客体が入れ替わることによって容易に反転して何が何だか分からなくなってしまう。そこで思考を整理するためにもう一つの区分を設けてみよう、という試みが《エリート》というカテゴライズであります。
Togetter(トゥギャッター) – まとめ「「とある科学の超電磁砲」10話―反転する「マジョリティ/マイノリティ」と佐天涙子への共感覚性―」
マイノリティ/マジョリティという対立をエリート/マジョリティにズラしたほうが事態を正確に把握できそうです。
このヒントを元に、人数による多数派/少数派という区別ではなくて、社会的影響力を軸にした大衆と指導者、そしてその枠組みから阻害される差別される人としてのマイノリティという区分け。
決してあからさまに非難され、差別されるわけではないのですが、《レベル》というイデオロギーによって常に劣等感を抱かされ続ける環境に問題があります。彼らには徹底的に居場所がない。その中で、親元を離れ 一人学園都市にやってきた佐天さんもまた、そうした劣等感に常に苛まれ続ける「マイノリティ」の一人だったのです。
社会制度としてのカーストにおける底辺の”ズレ”
前置きとしてはかなり長めに稿を割いた「学園都市」という土台でありますが、もう少しだけ背景に深く切りこんでみたいと思います。
「学園都市」という管理社会が《レベル》というイデオロギーによって階層間の断絶が起きている、ということに触れてみましたが、同様にその原因についても触れなければなりません。
何故、このような断絶が起きてしまうのか。中でも一見等しく多数派に見える《レベル1》と《レベル0》の間に横たわっている、一際大きな断絶が、この原因を物語っています。
それは、《レベル》というイデオロギーを社会制度に適用した際の底辺のズレ、ここに大きな落とし穴があったのです。
図を見ていただければ分かりますように、《レベル》によって単純に6つに区別されたヒエラルキー構造と、社会制度としての”カースト” * 1 にはズレがある。「学園都市」の都市基準においては、《レベル1》が底辺、ここからが全体の共通認識として市民権を得られる最底辺なのですよ。
《レベル0》は地中に埋もれてしまう形で疎外され、市民であることすら認められない。インドのカースト制で云うアウトカーストいわゆる「不可触民」 * 2 として扱われるわけですね。
「学園都市」という枠組みが、そこにいる人々以上に狭いものに見えてしまうのは、徹底的な《レベル》重視社会であるかなのかもしれません。
だから抑圧され疎外される人々はこんなにも《ちから》を渇望する。《レベル》という絶対の法則で定められた階位を乗り越えうる《レベルアッパー》というアイテムは、劣等感に気が狂いそうになりながら《パーソナル・リアリティ》という土台に積み上げていく個々人の現状認識に基づいた「努力」の産物による越境ではなく、皆に等しく開かれたいわば《神》視点から使用した自分のみを確実に上の階位へと越境させうるもの。たとえ砂上の楼閣であるとわかってはいても、手を出さざるをえないといった切実さが社会的マイノリティに立たされた彼らにはありました。この都市では、「努力」という言葉でさえもカーストの内側、マジョリティにあって初めて適用される強者の言説であったのです。
さて、ここからがようやく本編に絡める形での言及です。
今回のエピソードを読み解いていく上で、重要なポイント――学園都市のカースト間に横たわる断絶を繋ぎ合わせる起点となったのが、黒子の負った「傷」というタームでした。
「傷」の連鎖が《レベルアッパー》という文脈とはまた違う、もう一つのプロトコルを明示し、あまつさえその間を繋いでネットワークを形成してみせるきっかけを作っていた。
そう、そのもう一つのネットワークが、他ならぬ《友達》のネットワークなのです。
《レベルアッパー》ネットワークのおさらい
ここでひとまず先に作中で丁寧に説明された《レベルアッパー》のネットワーク網についておさらいしておきましょう。
本編の説明を要約すると、音楽ファイルとしてパッケージングされた《レベルアッパー》という音源は、聴くものの聴覚から共感覚性によって五感の様々な部分へ刺激をし、意図的に生成した脳波の固定波形パターンをプロトコルに「AIM拡散力場」で繋ぎ合わせることで使用者をノードに見立てた P2P ネットワークを形成する、というものでした。
これはPCでいうTCP/ IP という技術で、違う環境間のPCでも等しく通信できるよう予め通信を行うための決まりごとをプロトコルとして定めておき、その間を有線/無線で繋ぎ合わせることで網目状のネットワークを形成していくものです。平たくいってしまえば前者は同じ目印をともした点で、後者はそれを繋ぐ線。このエピソードに関してはその程度の表層的な理解でも十分こと足りるのではないかと思いますが、さらに踏み込んでそれらがお互いに一定の匿名性を保ちながら直接並列に繋がれていく形態のネットワークを P2P * 3 といいます。
これを《レベルアッパー》のネットワークに当てはめると、固定波形パターンの脳波が脳のリソースにアクセスするための決まりごとであるプロトコルとして作用し、その間を能力者が能力を使用することで自然に発生していく「AIM拡散力場」――言わば無線LAN的な通信機能をもった「線」で繋ぎあわせていく。その中で使用者をサーバー化する処理体系、アクセスするためのポートの開放、能力の一部をパケットとして AIM拡散力場に乗せて伝達させるような処理もバックグランドで行えるような個人の能力開発も行ってしまうのでしょう。そうしてクラウドコンピューティングによって個人の《パーソナル・リアリティ》が持つ限界を、ネットワーク経由で共有リソースにアクセスして処理することでいとも容易く乗り越えてしまうことができる。これがまさしく《レベルアッパー》の正体でありました。
しかしそこには大きな落とし穴があった。純粋な P2P ネットワークには、常に脳内リソースの提供が代償として課せられる。だが本来純粋に消費されるリソースを超過して、悪意ある動機によって使用者からリソースを搾取する、という一面が隠されていたのです。言わば能力者個人に仕掛けられたバックドア * 4 。自主的にネットワークから切断する手段を提供されていないということは、とどのつまり何らかの形で接続を切断しない限り永久的にリソースを搾取され続けることを意味している。生体活動を維持するぎりぎりの脳内リソースを残して、その他すべてを《レベルアッパー》ネットワークへと提供するアクティブノードにされ、その結果が意識不明の昏睡状態、つまりは植物人間になってしまう原因でした。
ここで学園データベース経由で黒幕に行き当たり、黒子や固法たち《ジャッジメント》のメンバーと美琴たちは木山討伐へと赴くわけですが、彼女たちには決定的に見落としていたことがひとつありました。それは、一研究員に過ぎない木山がカーストの頂点に位置する《レベル5》には対抗しえない、という思い込み。能力の図り間違いだったのです。
《レベルアッパー》ネットワークが過剰なまでに使用者の脳内リソースを搾取していた、という事実から推測できるのは、この余剰リソースを必ず行使することのできる「点」が存在するということ。こんなにも過剰に取り立てたリソースを、共有ネットワーク内にプールしておくメリットがない。即ち、強大なリソースを占有できる人間がいるということ。黒子たちが見誤っていたこと、それはこの《レベルアッパー》ネットワークが使用者同士の並列接続から形成される平坦なピュア P2P であると勘違いしていたことだった。並列? いや違う、このネットワークには接続されるノードを監視し、そのリソース配分を自由に配分できるホストサーバーが存在している。平坦ではなく、一つのホストが圧倒的上位なマスターとして「点」が浮遊し、図らずも「学園都市」のカースト構造と酷似したピラミッド状のネットワーク――つまりは木山春生を頂点とした立体的な《レベルアッパー》ネットワークを形成していた。
しかもこれは、1か0、マスターが1ならその他すべては0に等しいより鋭角で、底辺のノードすべてを犠牲にして成り立つカーストなのです。
こうして「学園都市」のカーストと、《レベルアッパー》のネットワークは《レベル》というイデオロギーに基づいた価値軸によって二項対立的な様相を呈すことになる。
しかし、それら二つと全く相反する、全く別のイデオロギーによって支配されたネットワークもまた、今回のエピソード『サイレント・マジョリティ』では描かれていたのですよ。
それが、前述した黒子を発端に結びつき合う彼女と美琴・初春の3人が、明示された彼女たちだけの”プロトコル”によって、そして彼女たちだけの通信手段によって密に絡みつきあった《友達》ネットワークだったのです。
ここまで勿体ぶってきた所で”プロトコル”と聞けば、何かもやもやとしたイメージが頭の中に沸き上がってきたのではないでしょうか。
そうです。ずばり黒子と美琴と初春の3人を結ぶ共通のプロトコルとは、彼女たちそれぞれの「おでこ」でありました。
《友達》のネットワーク――あらためて確かめ合うということ。
黒子の「傷」は、初春と美琴のごっつんこで美琴に生まれた「おでこのバッテン」に連鎖し、やがて全身に傷を負って疲弊した黒子のおでこという「点」へ集約される。
そのおでことおでこ、初春→美琴→黒子のおでこを引き結ぶ「線」は、他ならぬ肌と肌の接触、温かな温度を宿した皮膚によって繋ぎ合わされたものだったのです。
「学園都市」が内包したカーストを隔てる断絶なんかには絶ち切れない、彼女たちの友情というイデオロギーに支配された《友達》ネットワークの可視化。
なんのことはない、肌と肌とをあわせるだけのスキンシップ。しかしそれゆえに、「 AIM拡散力場」よりもより強い決定的な結び付きなのですよ。ネットワークなんて大げさかもしれない、しかしそれを改めて確かめ合うことに意味があるわけですね。
《レベルアッパー》ネットワークと対比する形で、それぞれ「固定波形パターンの脳波」を「おでこ」へ、能力の使用で発生する「 AIM拡散力場」を能力なんて媒介しない純粋なパートナーとの「スキンシップ」で表現してみせた――言い換えるならプロトコルと通信手段の表象である――がかちりと見事にハマっていたエピソードだったと言えるでしょう。
これらはいわば前者の二つの「カースト」が物語における「マジョリティ」で、後者の《友達》ネットワークが「マイノリティ」でありました。しかし美琴たち3人が、「カースト」なしに《友達》として繋がっている「マイノリティ」であるから、逆説的に主人公足り得るのです。
「学園都市」のカースト間の断絶を黒子の「傷」によって接続して皆傷ついてるんだよ、と云うのはちょっと美談にすぎるかな、と思ってしまうのだけど、それを言わば「おでこ」というプロトコルを明示することで《友達》といった仲間の繋がりのみに限定して留め、代わりに一般化した際の広がりを《レベルアッパー》ネットワークの説明という物語の背景にすり替えたのは上手い。
この包帯でぐるぐる巻きに隠蔽された「傷」というのが、低レベル能力者と高レベル能力者にある痛々しい隠された断絶を肯定しつつも、どちらも皆傷ついちゃうけど前を見て歩んでいこうといった美談にしてしまわない絶妙なバランス感覚で、前者の初春と後者の美琴・黒子の間のみを「友達」というネットワークで接続することに成功している。こうして主人公として表出する3人。
しかし彼女たち3人と佐天さんには決定的な断絶があります。このエピソードにおいて佐天さんの立ち位置は、《レベル》のイデオロギーの支配する「学園都市/レベルアッパー使用者」では「マジョリティ・レポート(多数派意見)/サイレント・マジョリティ(沈黙する多数派)」、初春ら《友達》のイデオロギーが支配する「友達(主体※佐天さんから見た初春たち)/友達(客体※初春たちからみた佐天さん)」ではともに「マイノリティ」だったのです。しかし、誰一人悟られぬまま孤立無援になろうとしていた佐天さんと初春は、二人だけの《親友》というネットワークで繋がっていた。これを繋ぐもう一つのプロトコルとして機能していたのが「携帯電話」というガジェットでした。
――断線する《親友》のネットワーク
ここまでご紹介した二つのプロトコルが、主に接続するための「プロトコル」であったならば、初春と佐天さんを奇跡的に繋いだこの「携帯電話」というのは元の繋ぐ/切るという動作から連想されるように、繋がるということが逆説的に断絶を決定づけるガジェットとして描かれるのです。
意思によって接続のON/OFFを切り替えるアイテム。一度は初春からの接続したいという意思を、自分の中にある後ろめたさややましさから承認しなかった佐天さんでしたが、しかしどうにもいかなくなって初春と繋がりたいという意思を表明することで、初春と佐天さんの共通のプロトコルとして、そして《親友》として一対一通信型のお互いが対等の立場で P2P し合うネットワークが形成されているということを確認しあう二人でしたが、二人を繋ぐ「通話」という線はその終了とももに断線してしまう。このプロトコルは「友情」とは対照的に、有限であること、断線とももにお互いにスリープノードに移行することを明示するものでした。二人を恒久的に繋ぐ「スキンシップ」は、すんでのところで間に合わなかったのですよね。
この下段の左右のカットを見比べていただければわかるのですが、両者のカットはいっけん類似しているようにみえて、その意味するところは丁度正反対で、左は初春主体からみた佐天さん、そして右は佐天主体からみた初春を表しているように思えるのです。初春の後ろ姿が画面に含まれている左のカット、彼女の視界に映る佐天さんはまさに昏睡していて、そして初春の影と突っ伏す佐天さんが線対称を成す右のカットでは、思い届かずに精魂突き果てる彼女が、初春の影をみていたことが示される。
そしてよく見て欲しい。
佐天さんがかたくなに握り締めていたお守りが、まるで彼女と初春の影との間を有線ケーブルで接続しているようにみえないだろうか。しかしお守りのケーブルは初春に届かない。ここで改めて、彼女たちの決定的な断絶の瞬間を目の当たりにしてしまうのです。
しかしこれら一連のシークエンスが、あくまで初春の心象表現として終始していることに構成の妙があります。あたかもこのショットから先に佐天さん主体が存在するかのように振舞っている。けれどその実ここから先はすべて初春一人が体験していく――初春主体によって佐天さんの心象を代弁していく――のですよね。こうして少女たち3人の《友達》の、初春との二人きりの《親友》のネットワークからも疎外されてしまった「マイノリティ」の佐天さんが、ようやくサブタイトルとして冠されている「サイレント・マジョリティ」の仲間入りを許されたのでした。
そして佐天さんの「マイノリティ」の意志は、初春へと託される。
ここで佐天さんから「マイノリティ」の意志をバトンタッチされることになった初春でしたが、先週のエピソードでも指摘した光の「陽/陰」による心象表現が今度は初春に適用されていたように思います。
「縦/横」の暗喩表現と「陽/陰」の心象表現の解説 ――とある科学の超電磁砲 #9 「マジョリティ・リポート」 » だい亜りー
初春の手元に映るオレンジの色がまるで日の光の「陽」のように、反対に木山先生の目元に影を落とした黒は日の光の遮られた「陰」といった具合に
初春の目線をなぞるように綺麗に分断された「陽」と「陰」。彼女は今その境界線に立たされているということを雄弁に物語り、そして木山が「陰」に隠れるようにして一際陽の当たらない場所にいる者であることを指し示していたのではないでしょうか。そして面白いことに、これは首から上を「陽」に照らされて「陰」の中に体を沈める佐天さんと丁度対をなしています。
というわけで、長々と「マジョリティ/マイノリティ」観と、分断された人々を横にあるいは縦に繋ぐ「ネットワーク」という切り口から展開してみましたが、いかがでしたでしょうか(なんとか収拾できた?)。
この『サイレント・マジョリティ』と先週の『マジョリティ・リポート』は二つで1つのセットになっているわけですが、先週の『マジョリティ・リポート』は本来「マジョリティ」であるはずの佐天さんが題意に反して彼女主体の中で徹底的に「マイノリティ」として描かれたお話でもありました。それを踏まえて今週の『サイレント・マジョリティ』に目を向けてみると、題意は直接的には植物状態と化したレベルアッパー使用者を指しているのですが、ここはやはり先週の文脈を引き継いで「マイノリティ・レポート」を解き明かさなければならないでしょう。そしてこれは丁度『サイレント・マジョリティ』の対偶をとっていて、すなわち真でもあります。その両方に当てはまり、どの枠組みにおいても疎外される立ち回りを演じてしまった佐天さんこそが、ずばり本当の「マイノリティ」だったのではないでしょうか。
そしてこの「サイレント・マジョリティ/マイノリティ・リポート」は、「学園都市」という《レベル》のイデオロギーによってのみ支配されるカーストの不条理を肯定していた。「サイレント・マジョリティ」として描かれる昏睡した人々は、不気味なまでに政治的な意味での「もの言わぬ多数派」の直喩であったようにも思います。
長々とカーストやネットワークに前置きを用意したのは、《レベルアッパー》のネットワークが最終的に「学園都市」の管理社会をより強固に体現したディストピアになるであろう、という予感めいたものがあったからです。
しかし、だからこそそのカースト間の断絶をも全く別のイデオロギーから繋いで見せる美琴たちに期待が膨らんだエピソードでもありました。
物言わぬ多数派に物申す少数派意見。能力の土台を形作る《パーソナル・リアリティ》とは、《友達》の――そして断絶してしまった《親友》のネットワークにこそ見いだせるものだと思えてなりません。
風の吹くままに待っているだけではいけない、素直に自分の手で持ち上げなければ光明は見えてこないのです。
《レベルアッパー》と《パーソナル・リアリティ》の正面対決に期待が膨らみます。
- ヒンドゥー教にまつまる身分制度。インドでは概念上ののヴァルナ(四種姓)という枠組みと、内婚集団に基づいた社会慣行としてのジャーティの2つを内包したものを指す。 カースト – Wikipedia [ ↩back ]
- インド社会におけるマイノリティ。総じて身分の低いとされる人々だが、財をなして富裕層となっている人々もいる。 不可触賎民 – Wikipedia [ ↩back ]
- 「peer to peer」の略。多数の端末間で通信を行うアーキテクチャの一つで、主にコンピューター同士が対等に通信を行う。 Peer to Peer – Wikipedia [ ↩back ]
- 《レベルアッパー》はバックドアを仕掛けるプログラムでもある。 バックドア – Wikipedia [ ↩back ]
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