『宇宙ショーへようこそ』を見る前に

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宇宙ショーへようこそ 2010.6.26 ROADSHOW

「『宇宙ショーへようこそ』を観たくってもうどうしようもない!」という人は静かにブラウザバックして劇場へと足を運んでください。ここでは「興味はあるけど、まだ観に行くかどうかは迷っている」という人を対象に、あるいは「観に行くつもりはなかったけど、なんか面白そう」と本来見に行く予定の無かった人が、もしかすると興味を持つかもしれない要素をピックアップして啓蒙的な記事を書いてみたいと思います。

というのも、ここをみて

今日もやられやく 本日公開の『宇宙ショーへようこそ』2chでの感想まとめ

どうやら『宇宙ショーへようこそ』のエッセンスを深く咀嚼して楽しんだ人と、なぁなぁで観て文脈の汲み取れない映像に早々に飽きてしまった人とで評価が二分に分かれているらしいことを目にしたからでした。

ぼく自身は公開二日目に観に行ったクチなのですが、予想以上に驚きとともに不思議な充足感に満たされ長々と考察を書き出してたまらないのですけれど、まだ公開一週間未満と時期早々の感もあって、ここではぼくと興味の似通っているであろう人を対象にちょっと食いつきそうな要素について書いてみます。これらを前提として頭に入れておくことで、具体的な描写に関してより深く気づきを得られることを祈って。

まず、スタンスとして、本稿は現在こちらで公開されている

「宇宙ショーへようこそ」公開直前!冒頭ノーカット放映SP!|無料動画 GyaO![ギャオ]|「宇宙ショーへようこそ」|アニメ

冒頭20分ノーカット放映の範囲のネタバレと、それ以降の重要なネタバレにならない程度の軽度のバレを含みます。

ではまず冒頭のシーンからですが、この作品は子供たちの目線の高さの推移と、彼・彼女らの空間的な上下運動に着目すると面白いのではないかと思いました。

神秘を俯瞰するということ――広がる視野とスピード感溢れる子供たちの「行動力」について

まず初めに眼鏡をかけた少年・康二が滑落して山の斜面を降下する場面から、その下にミステリーサークルの広がる様子を視認し、子供たちが草むらへと踏み入れる一連のシークエンス。この描写にぼくは非常に興味を惹かれました。

ここでは子供たちが「ピョン吉」を捜索する、という目的で協調しているのですが、森の中へと入り込んで上へ上へと斜面を昇ることで「ピョン吉」という共通した対象への(心的な)距離を縮めていこうと行動しているのが分かります。しかしそんな子供たちの中で、康二は〈自分の興味〉へと意識を向けた際に足を取られて斜面を滑落するのですよね。そして、その眼前にミステリーサークルの広がる光景を目にする。つまり、子供たちの興味は、康二の興味によって切り開いた道を通って出会った神秘へと向けられる。この斜面を滑落する際の斜め下へと進む動きと、眼下の視線の先に広がる神秘という構図は後ほど「型」として反復されることになります。

一旦この話はここで置いておくとして。この眼下に広がったミステリーサークルのショットは、次の瞬間非常に低い位置に設置されたカメラからその内部を駆けまわる子供たちを主役にして見上げるように映し出されたショットへと接続されるのですが、この繋ぎは非常にスピード感あるものに感じられないでしょうか。子供たちが逡巡なしに神秘へと足を踏み入れる、そんな神秘への干渉を興味からくる「行動力」によって果たす――そんな子供たちの神秘との精神的な距離の近さを感じさせる描写にぼくは感じました。そして、背の高い草をかき分けたその先に、さらなる神秘――「宇宙」への架け橋となるポチを発見する。

その実態は”セカイ系”ならぬ”シャカイ系”アニメ――まだ見ぬ月の裏側に広がっていたのは、高度に発達した資本主義社会だった

この『宇宙ショーへようこそ』という作品の醍醐味は、まさしく「”セカイ系”ならぬ”シャカイ系”アニメ」というところにあったと思います。

ここでいう”シャカイ系”とはあくまで”セカイ系”と対置する意図で便宜的に用いているものなので語義については深く捉えないで頂きたいのですが、この作品で取り扱われる「宇宙」とは、資本主義が高度に発達し、星と星を繋ぐ”鉄道”が発達し、異星人間との相互コミュニケーションを理想的な形で果たされた――そう、「社会」だったのです。

ここではすべての星の人々は相互補完的にネットワークを張り巡らせ、経済によって人々の営みが循環し、全宇宙を統括的に支配するメディアによって皆が娯楽に興じる様が描かれています。そんな発達した未来都市のステーションは、月の裏側――つまり我々地球からは見えないその先に形成されていたのです。

先でポチを救出した子供たちはその御礼にポチからこの「宇宙への修学旅行」がプレゼントされることになります。山の高台から眼下に広がったミステリーサークルを俯瞰しセカイの広がる実感を得た子供たちが、今度はジャングルジムに乗っかってさらなる遥か上空から自分たちの居た「村」を俯瞰し、さらには成層圏を乗り越えて「地球」全体を俯瞰する。こうした急激な”セカイ”の広がりの先にあったのが、地球よりもさらに高度に発達した”シャカイ”だったわけです。

子供たちの職業体験を通じて――自覚する責任と、社会の成員として自立すること

こうして月の裏側に形成されたステーションへと降り立った子供たちは、ポチに引きつられるまま「宇宙ショー」を鑑賞しながら自由気ままに「宇宙への修学旅行」を満喫するのですが、とあるトラブルによって地球に帰れないという事態が発生します。ここで鎌首をもたげてくるのが、現実的な渡航手段に関しての「金銭的な問題」なのですよ。

このシークエンスでは、いたるところで子供たちが貨幣について興味を抱いたり質問する様子が神経質とさえ感じるほどに描写されています。ステーションで流通するポッドの価値を日本円に換算したり、年長者の清はポチに気を使ったりもする。実はこれが後の展開の伏線になっていて、子供たちは「金銭的な問題」という現実的な問題に直面することで、「労働して金銭を得ること」を選択するのですよね。

ここからがすごく面白い。ポチがギャンブルで金銭を得ようとするのに対し、子供たちは自分がそれぞれ得意とするものを理解していてそれに関連した仕事に従事し、また社会はそんな子供たちを一人前な社会の成員として受け入れる。夏紀は持ち前の運動能力を活かして流通業に従事するし、周は面倒見の良さと責任感を発揮して保母さんとして異星人の赤ん坊の面倒をみて、清は知的好奇心を発揮して近未来的なテクノロジーへの接近としてエンジニアリングと触れ合うことで達成する。しかし、「自分のしたいこと」に自信を持てていない清は自身に単純な肉体労働を課し、まだ自分の「なりたい像」を描けていない倫子は社会にコミットすることさえできずに皆が労働する中モラトリアムな時間の中で葛藤するの。なんと艶めかしいんだろう。この生々しくて現実を突きつけてくるような描写がすごく痺れるんですよ。一対一で市民を受け入れる対話的な社会の中で、子供でさえ、自立して行動すればそれを受け入れてくれる社会のあり方が描かれていたとともに、子供たちの職業体験として、とても鮮烈なイメージをぼくは受け取りました。

この映画を観る子供たちに働くことへの意欲を喚起するような映像――だって、彼・彼女たち、すごく楽しそうでいきいきしているのですもの。しかし、働いて金銭を得る以上、それ相応の責任を得ることになる。無茶苦茶な運転で器物損壊の事故を起こしてしまった夏紀は仕事をクビにされるし、また損害を賠償する借金を背負うことになる。そうして各人が社会の構成員として社会にコミットしつつ、自分の領分を自覚しながら地球に帰るための金銭を得るため仕事に励むわけですね。

「村社会」から「社会」へ

この作品のエキゾチックなところは、なんといってもこれら子供たちの視野の広がりにあったのではないかと思います。これらを踏まえて上で冒頭のシークエンスを改めて検証すると、「斜め下への動き→眼下に広がる景色→その下辺の場所へと踏み込む→真上への上昇→より大きなスケールで俯瞰する」という動きが、宇宙へと到達してステーションに降り立ってもなおそのまま反復されてスムースに連動するのですが、これは子供たちが自身の居た「村社会」を俯瞰するという構図に抽出できると思います。そしてさらにこの「子供たちからみた村社会」という構図は、「宇宙からみた地球」という構図にそのまま適用されて、この『宇宙ショーへようこそ』という物語の枠組みは前者が後者に内包されて重層的に織り成す構造を持っているのですよ。それが異星人理解という文脈を通して主体と客体が入れ替わるようにして相互的な歩みよりを見せるのですよね。

そういえば、ここでの子供たちの「村社会」は、彼・彼女らの社会の枠組みから「大人」たちが抜けた子供だけの関係性によって成り立っていた。それを踏まえるとこの物語はどうやら”昇る”という運動を通じて「村社会」から「社会」への参入を果たし、「お客様」から「市民」といったその社会の枠組みへとコミットすることに主眼が当てられているのではないか、と想像を巡らせることができますよね。そしてこの”昇る”という運動は彼・彼女の肉体労働を伴ったものとしてではなく、まるでエレベーターのような装置で一気に駆け昇るところに一種の浮遊感と超越性があります。ここに子供たちの体験が物語になり得る起点がある。

「宇宙ショー」とはなにか――それはメディアを通じて流通するコンテンツとして

最後に、この映画のタイトルにも冠せられている「宇宙ショー」という名詞について触れてこの稿を締めくくりたいと思います。

これだけ長々と語りつくしましたが、実はここまでストーリーの転換点となるネタバレは一切含んでおりません。ストーリー前半から全般に渡って普遍性をもつこの作品のエッセンスを少しだけご紹介しました。あくまでストーリーそのものではなく、解釈の枠組みになりうる叩き台を提供するものとして書き記してみました。この映画の映像はぼくたち想像力の枯渇してしまった「大人」には少々平坦に感じてしまうところが十二分にあるように感じます。その最たるものが「宇宙ショー」です。過度に奇を衒ったものは、逆に平坦に映ってしまう。だとしたら、その背後にある文脈を汲みとって枠組みとして捉えてみようというのが、ぼくがこの映画を観ながら感じたことでした。

そして「宇宙ショー」の背後に流れる文脈とは、ステーションに象徴された宇宙の「社会」に対して、メディアとしての網羅的なネットワークと、その映像ソース自体のコンテンツとしての役割でした。

宇宙の住人は皆――「物語」を欲している。

様々な異星人たちの混在する「社会」を統括する「物語」の存在が彼・彼女らの大きな精神的支柱として機能している実感をこの映画を観ていて強く感じ取りました。この映画を観るときは、是非この図式を強くイメージしてみていただきたい、そう思えるくらいに。

「宇宙ショー」の位置づけがそうした宇宙を統括するメディアのコンテンツとして機能していることも、”シャカイ系”アニメとぼくが表現したくなった所以でもあります。

こうしてシャカイが展開する宇宙空間は、やがて球形のイメージの連鎖によって普遍性をみせる!

どうですか、興味が湧いてきましたか? そうですあなたですよ。今すぐ劇場に足を運びたいと思えたかどうかはぼくには分かりませんが、そのきっかけが用意できたのであれば幸いです。さぁ、劇場という空間の中へ「行動力」を発揮して足を踏み入れてみましょう。

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PG

Author's: Italy亜人

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